なぜ、人が生きていくうえで、宗教が必要なのでしょうか。
それは、人間には解らない事が沢山あるからです。そして、人間は解らない事に対して執拗(しつよう)に怯え、不安になります。
そんな事は無いですか?
それでは皆さんが、神仏も宗教も信じていないと仮定してみましょう。
ここで、神仏を信じていない皆さんが、小さな動物にイタズラをしてその動物の命を奪ってしまったとします。そしてイタズラをした後、皆さんが家に帰ろうとしたところ事故にあってケガをしてしまったとします。
当然、皆さんは神仏を信じていないのですから、自分の不注意か、単にツイていなかったからと思うでしょう。
しかし、その数日後、イタズラをした場所の前を自転車で通ったところ、急にタイヤがパンクしてしまい、ブレーキのワイヤーも切れて、転倒してまたケガをしてしまったとします。
さて、皆さんは単にツイてなかったと思うだけで気持ちが落ち着くでしょうか。
なんとなく気味が悪くなりませんか。そして、一緒にイタズラをしていた友人が、急に病気になって入院したなんていう話を聞いたらいたたまれなくなるんじゃないでしょうか。
イタズラと事故や病気に因果関係があるなどと誰も証明していないし、証明できないのに、「もしかしたら」って考えてしまわないですか?。
ところでこの「もしか」ってなんでしょうか。霊やタタリなどというものがこの世にあると思いますか?。だれも科学的に証明していないのですよ。
でも、皆さんはそんな事で納得できるでしょうか。怖くないですか?。「もしあったら」って考えてしまわないと言い切れますか?。
そんな時、皆さんだったらどうしますか?。警察に相談しますか?。
きっと神社や寺院に相談に行きたくなるんじゃないですか?。でももし、世の中に、神社も寺院もなくて、神主さんもお坊さんもいなかったら、皆さんはどうしますか?。
イタズラした場所で手を合わせたり、塩をまいたりするかもしれませんね。でも、これって立派な宗教行為ですよ。
それに、そもそも、霊やタタリがどうしたこうしたという事自体、非科学的であり、すでに宗教の世界だと思うのですがいかがでしょうか。
さらに、この世に宗教が存在しなければ、手を合わせるとか、塩をまくという行為すら発想できないのではないでしょうか。
最初にも述べたように、人間は自分の解り得ないものに対して怯え、不安になります。なぜなら、自分の力ではどうする事も出来ないからです。
そして、世の中には人間の力の及ばないものが沢山有ります。いえ、むしろ人間の力の及ばないものの方が圧倒的に多いのです。
人間は普段の生活の中ではなんでも出来るような錯覚を持っていますが、自然災害などの時には嫌というほど無力さを感じさせられますし、まるで、「思い上がるな」と言われているようにさえ感じます。
そして、人間は、自分が無力である事を潜在的に知っています。その為、なにか自分以外の大きな力にすがり、助けてもらいたくなるのです。
だから宗教が生まれるのです。
もともと宗教は誰かが他人を支配する為に作られたのではなくて、人間の持っている怯えや不安から必然的に生まれたのですから、例え今この世から全ての宗教が一瞬のうちになくなったとしても、必ず新たな宗教が生まれてきます。
ですから、人間が生きていくうえでは宗教はなくてはならないものだと思います。
皆さんの中で、一生のうちに一度も神様や仏様を必要としないと言い切れる人はいないと思うのですがいかがですか?。
もう少し、話を続けましょう。
皆さんは占いは好きですか?。
好きな人はなぜ好きなのでしょうか。自分の未来を知りたいからですか?。それではなぜ自分の未来を知りたいのでしょうか。不安だから?。それとも単なる好奇心?。
占いが嫌いな人はなんで嫌いなのでしょうか。自分の未来を勝手に決めつけるから?。でも占いを信じていなければ、例えどんな占い結果が出ても、嬉しくもないし悲しくもないし不安もないでしょうから、気にも留めないのではないですか?。占いを完全に否定しきれないからでしょうか、それとも、占いによって自分が洗脳されるようで怖いからでしょうか。
どちらにしても自分自身で自分の未来を知る事が出来得ないことで、確信を持つ事ができず、心が安定していないということではないですか?。
なぜ人間が占いにハマルのかという心のメカニズムを考えると、宗教の必要性も理解できるようになると思いますので、身近な占いで考えてみてください。
ところで、人間の怯えや不安から宗教が生まれると述べましたが、人間が幸せに生きるために宗教が生まれたということでもあるので、マイナスのイメージを持たないでくださいね。
例えば、神様や仏様がいつも自分の側で見守っていてくれていると信じられれば、幸せな気持ちで生きていけるでしょ。
そして、仏教を信じている人の側には、いつでも仏様が付いていてくれますよ。
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