どうして食事の前に「いただきます」って言うんだろう?
みんなは食事の前に「いただきます」って言ってるかな?
目の前の食事を「いただく」から「いただきます」っていうんだけど、そのときに、手をあわせたりしない?
もしかしたらみんなの家では手をあわせないかもしれないけど、テレビで食事の前に「いただきます」っていって手をあわせるシーンを観(み)たりしたことはあると思うんだ。
なんでお墓参りでもないのに手をあわせるのか不思議(ふしぎ)に思ったことない?
お坊さんは食事の前に必(かなら)ず手をあわせて「いただきます」っていうんだけど、どうしてそんな事をするかっていうと、大切(たいせつ)な「いのち」をいただく事に対する感謝(かんしゃ)のきもちからなんだ。
「いのち」をいただいているって不思議(ふしぎ)かな?。
お肉(にく)も野菜(やさい)もフルーツもお店で売っているけど、そこに来る前はみんな生きていたんだよね。
みんなが食べているものは全部(ぜんぶ)生きていたもので、みんなが生きるために、その「いのち」を奪(うば)ってしまっているっていうことなんだ。
「それじゃあ、食べる事はいけないことなんだ」なんて思わないでね。どんな生き物も他(ほか)から栄養(えいよう)をもらって命(いのち)をつないでいるんだから。
つまり、みんなが食べるお肉(にく)や野菜(やさい)も、それまで、動物(どうぶつ)や植物(しょくぶつ)として生きていたっていうことだから、やっぱり他(ほか)の動物や植物を食べたりしながら生きてきたっていうことなんだ。
それじゃあ、人間(にんげん)と他の動物や植物の違(ちが)いってなんだろう。
たとえば、ライオンが他の動物を食べるシーンは、残酷(ざんこく)に見えるかもしれないけど、ライオンはおなかをすかせて、おなかをすかせて、やっとのおもいで獲物(えもの)をつかまえて、なんとか自分の命をつないでいるんだよ。そして、必要以上(ひつよういじょう)には食べないんだ。
人間以外(にんげんいがい)は、みんななぜ自分が食べるのかなんていうことを考えたりはしないんだけど、自然(しぜん)と必要以上(ひつよういじょう)のことはしないし、バランスがとれているんだけど、人間(にんげんは)は必要以上のものをつぎつぎに食べたりしちゃうから、食事の前になんで食事をするのか考える事がとても大切(たいせつ)なんだ。
いま自分(じぶん)が生きているのは、他の動物や植物の命をもらっているからなんだなって考える事で、動物や植物の「いのち」の大切さを感(かん)じる事ができるようになるし、これまで自分が生きてこられたのも他から「いのち」をもらっているからなんだと感じられる事で、「ちゃんと生きていかなくちゃもうしわけない」って思えるでしょ。
思いやりや感謝(かんしゃ)の気持(きも)ちをもつと、人生(じんせい)がとってもありがたいって感じられるから、しあわせに生きられるんだよ。
だから、食事の前に「ありがとうございます」っていう感謝(かんしゃ)の気持ちをこめて「いただきます」っていって食事をいただくんだ。
わかったかな?
今回(こんかい)のおはなしはちょっとむずかしかったかな?
「いただきます」は「ありがとう」っていう感謝(かんしゃ)の気持ちなんだっていうことをおぼえておいてね。
それじゃ、今回のおはなしはこれまで。
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