寳 性 寺 | ||||||||||||||||||
寺 籍 群馬教区寺籍5番 寺院名 明 京 山 寳 性 寺 御本尊 阿 弥 陀 如 来 住 職 吉 田 正 光 所在地 〒370-0134 伊勢崎市境島村2256 電 話 なし F A X なし |
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[ 自宅連絡先 ] 〒367-0017 埼玉県本庄市大字傍示堂463番地 春 日 山 圓 満 寺 TEL 0495−22−4324 |
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ー 縁起 − | ||||||||||||||||||
寳性寺は、山号を明京山・院号を観音院・寺号を寳性寺と称し、利根川右岸(埼玉県側)の、旧・佐波郡境町大字島村字新地に所在している。 明治初年の『上野国郡村誌』には「寳性寺 東西四拾壱間南北四拾間、面積壱千六 百弐拾坪、真言宗京都智積院ノ末派ナリ、村ノ西南方ニアリ、文禄弐年僧明京開基ス」とある。この時の「村ノ西南方」とは、寳性寺がかつて字前島にあったころの位置で、文禄2年(1593年)に、この地に創建されたと伝えられている。 前島は、古くから開けた地区で、島村の中心部を成していた。しかし、乱流する利 根川と烏川に挟まれ、その中州に位置する状態になってからは、たびかさなる洪水と 川欠けの危険にさらされていた。そのため、大正3年(1914年)内務省の利根川改 修工事に当たり、全戸移転し、前島の地は河床に没し、寳性寺もこのとき現在地に移 転した。 寳性寺を開基した明京については、寺の歴史とともにつまびらかではないが、地元 では次のような伝承を伝えている。 以前、島村でうたわれていた大津絵節という民謡の中に「秘伝の弁天、明京鉢巻…」という一節がある。「明京鉢巻」の由来は、天正13年(1585年)、豊臣秀吉が紀 伊の根来寺の門徒を攻めたとき、明京は巨竹を捻って坊主頭に鉢巻きをして、敵中に 突入し、根来寺の難を救ったという伝えによるものとされている。 また、山内には、等身大より少し大きい閻魔大王の座像を安置した閻魔堂がある。 この閻魔堂は、寳性寺・中二階に安置されていた閻魔大王のために、昭和59年3月、檀信徒の熱意により建立されたものである。 |
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